コーチングで悩みを解決!セルフコーチングを身に付けると、一生思いのままの人生を生きられるようになります。あなたの才能が目覚め、自分らしさ全開で、成功への道を歩み始めます。
京都市左京区一乗寺東浦町56 A-101
  1. ブログ【答えはあなたの中にある】
 

ブログ【答えはあなたの中にある】

2017/08/31 わたしの思うすごい人、かっこいい人  
朝晩の風がだいぶ涼しくなりました

涼しいからクーラーをかけずに窓を開けて、いい風は入るのですが、あいにく、道路向かいの敷地も、二階も、工事中、、、、菅原受難の時です

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の故事のように、どんな環境でもこころが平穏でいられるよう、「ここは修業の時」とは思ってるのですが、「うっさいな!」って思うこともしばしば。。(^^;

 

人間がまだまだできていないようです

 

 

なにか、知識があるとか、すごく地位が高い人というだけで、「偉い方」「素晴らしい方」って思ってらっしゃる方が多いのかな〜って感じがしてます

 

たしかに、中身が伴っていれば、素晴らしい方なのでしょうけれども、よくよく拝見すると、偉そうにして、挨拶もろくに出来なかったり、下の方を見下げたり、差別をしたりする方は、素晴らしい方なのでしょうか?

 

難しい専門用語を並べ立て、いかにも知っているかのようですが、中身が伴っていなかったり・・・

 

知識は、その世界にずっといれば自ずと深まるものですし、自分より経験が長ければ、知識がより深いのは当然のこと、とも言えます

 

地位が高いことも、人間的にも優れていて上り詰めた方なら、「すごい人」って思いますが、ただ単に上司にゴマを擦ってのし上がっていったのかもしれません

 

知識とか、肩書とか、地位とか、名誉、そんな外側のものだけで、人間を測ることは出来ないな〜とわたしは思います

 

その方がどういう人間か?どういう思いを持って、家族に対して、他人に対してどのように接し、世の中に対してどう関わっているか?そんなことが大事じゃないかなって思うんですね

 

 

わたしがすごい人、を思い浮かべた時、頭に浮かぶのは、江頭2:50さんです

 

お笑い芸人であり、黒いスパッツを履いて、見た目も、芸も、決して綺麗とは言えない方ですが、すごいなーと感心したのは東日本大震災の時、借金をしてまで支援物資を集め、福島県いわき市まで自らが運転して被災地支援を行った、と聞いたときです

 

TVで芸を披露している時には、バカ丸出しのようにして、皆に笑われていますから、正直驚きました

 

借金してまで、というのはご本人の生活もあるので、無理をしてまでどうかな、、TVにもあまり出ていないし、生活が大変なのでは?と勝手に思ってました

 

でも、どうやらパチンコ店での全国営業で大人気で、すごく稼いではるそうです

 

また、ちょっと調べたら、生い立ちは非公開だそうで・・・皇室と関連あるんじゃないか?という噂もあるようですよ

 

いずれ汚れキャラなので、生い立ちをオープンにしたとき、身内に不都合な方がいたり、汚れキャラから一転、王子様キャラになっても笑えなくなりますから、その辺の配慮なのかもしれません

 

あくまで想像の範疇ですけどね

 

 

 

人の生き方、生き様にも色々ありますね

 

かっこつけたい、かっこいいと見せたいと思う人は多いと思いますが、そういう方ってわたしから見ると大抵かっこよくないですね

 

そう思って、そうしていること自体が、うっすらはっきり感じられますから、その時点でなんかダサい感じですね(^^;

 

取り繕ってる感満載なのです

 

わたしはかっこつけてない、むしろ汚れキャラを演じているけど、生き方としてまっすぐな江頭さんみたいな方がかっこいいなぁ、と思いますね

 

こころ、って見た目だけでは測れないものですが、TVで見ている芸人としての江頭さんではなくて、一人の人間として生活している時にお会いしてみたいです

 

きっと、きっと、まっすぐな純粋なこころの持ち主じゃないのかな?ってわたしは思ってるんですけどね

 

残念ながら素の江頭さんを拝見したことがないのではっきりしたことは言えませんが、きっと誠実ないい方というのが、お顔にも表れているんじゃないかなって感じはします

 

お顔、姿の造作ではなくて・・・なにか、目が優しかったり、目の奥が光っていたり、話し方、佇まいなどで、その方の感じが分かりますね

 

 

「人は見た目が大事」とは言いますね

 

見た目、とはいっても、ただの見た目の「形」「配列」「造作」であれば第一印象だけで、あとは、その方の人となり、人間性が、見た目にも滲み出てくるから、そう言う意味で見た目も、大事なんじゃないかなって思うんですよね

 

 モデルさんなんかでも、写真ではすごく綺麗に見えていても、実際動いているのを見たり、話している表情を見ると、好感が感じられなくて、美しいとも感じない、ということも、ままありますね

 

 

わたしはすごい人っていうのは、自分らしく、思いのままに生きられ、こころの幅、深さがある方が、素晴らしい方なんじゃないかなって思ってるんですね

 

わたしは自分らしく思いのまま、生きられるようにはなっていますが・・もっともっと、こころの幅、深さ、余裕のある人間になれるよう、どこまでも一生目指していきたいところです

 

わたし自身、ダメなところもいっぱいあるし、出来ていないところもいっぱいあるんですけど、わたしと関わってくださった方がよくなるような、優しい気持ちになるような、そういう思いだけは無くさないようにしていきたいと思っていますし、思いだけは本物、と自負しています

 

 

 

クライアントさんは皆さん、自分らしさを知って、思いのまま生きていけるようになりますので、みんなみんなすごい人になっていきます

 

人は皆、完璧でないからこそ、完璧なんですよね

 

お星さまがハートになろうとしたら、お星さまの良さが全く消えてしまいます

 

お星さまは、お星さまらしく生きる事こそが、完璧なことです

 

お星さまが、自分はとんがっているから、ダメなんだ、と、ハートになることが素晴らしいこと、と、頑張ろうとする事なんて、意味がないことだし、自分というものの本質から離れていってしまうことです

 

まずは自己否定しないことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




2017/08/30 おもかる石は重いですか?  
いま、イチジクを食べながらブログを書いてるんですけれども、イチジクって美味しいですね 笑

仙台にいた頃は、イチジクの甘露煮を作ったりしていたのですが、そういえば、京都に来てから、小さいイチジクが売られているのを見たっけかな?と気付きました

そこまで気持ちの余裕がなかったのかもしれません

やっと京都に馴染んできたのかな〜という風に感じています

もしお店で見かけたら、今年は甘露煮か、コンポートを作ってみようかな〜と思います^^


先日、土曜の朝の番組か何かで、伏見稲荷大社のことをやってましてね

来月、9月にですね、仙台からお友達が遊びに来るのですが、「一日は伏見稲荷に行く」と言ってたので、まじまじ見てました

わたし自身一度だけ行った事はあったのですが、意外と知らないことばかりやってました

中でも、「おもかる石」というものがあるそうですね

願い事をしてから、石を持ち上げてみて、予想より重かったら願いは叶わず、予想より軽かったら願いが叶うと言われているそうです

それ聞いて、なるほど〜と思いましたね

願いを叶えたい思いが強ければ強いほど、「持ち上げてやろう」と思うでしょうからね

逆にどこまでも他力本願では、そもそも願いなんて叶いませんしね

願いって、思ってるだけではだめで、自分がどう思い、どう行動していけるか、によって、叶うかどうかも変わってくるんだと思うんですね

おもかる石で、こころの在り方が試されるんだろうな〜って思いました



例えば、コップに水が入っているとします

飲んでいったら、半分になりました

その時に、「もう半分になってしまった」と思うか、「まだ半分ある」と思えるかどうか

ちょっとのモノの見方の差なのですけれど、両者の差は大きく、その後、雲泥の差がついてきます


モノの見方、感じ方、受け止め方が全てです

自分の世界がどう見えるか?一人一人、きっと、全て違います


「コップの水がまだ半分もある」と思える人は、そこから水の量を増やして行ける人です

まだ半分もある、じゃあそこから増やしていこう、と思えて、行動できれば、増えるんだなって分かると、全部自分なんだな、って気付いて、どんどん増やしていけます

モノの見方、感じ方、受け止め方が、自分自身がいい感じでいるだけで、周りも気分よくいられて、物事がうまく流れるようになります

水を分けてあげたりしても、相手は分けてもらった感謝から倍にお返しをいただいたりして、水をあげる前よりも、もっと増えます

そんなものですね

自分のこころの在り方で、結果が変わる、と気づくと、目に見えないものにも感謝の念が湧いてきます

それには、うまくいかなかった時のこころの状態と状況があるからこそ、こころが変わった時こうも違うのか、と気づくことが出来ます

だから、うまくいかなった経験も、みんなみんな大切です


ところで、わたしは、その方が『感謝できる人かどうか』で、こころの状態が少しだけ分かるような気がします

コップの水があふれている方は、なんにでも感謝できるんですよね

逆に、失われるもの、足りないもの、無くしたものばかりに目が行ってしまう方は、自分が恵まれており、周りに感謝すべきことが沢山あるにも関わらず、そのことに気付けません

モノの見方、感じ方、受け止め方が変わるだけで、自分の世界が逆転しはじめます

罪悪感、欠乏感、不平不満からは、同じようなものを生むし、逆に充実感、満足感、至福感からは、同じようなものを呼びます

物事って磁石、なんですよね

「類は友を呼ぶ」は同じような人間同士が集まってくる、という意味ですし、「泣きっ面に蜂」は泣きたくなるような不運な出来事があって泣いていると、もっと不運を呼んでしまう状況を言いますね

古人は生きていくうえでの素晴らしい気付きを、ことわざや慣用句にしてくれていますね

変な人、好まない人が寄ってくる場合は、自分の在り方を振り返った方がいいと思いますし、不運なことが起きた時、何かのせいにしていないか?自暴自棄になっていないか?自身を内観する必要があるように思います

わたし自身のことを振り返ってみても、自分のこころの状態から、好まない方を磁石のように引き寄せてしまうと実感しています



全て、すべてすべて、自分自身次第なんです

そのことに気付けた方は、一生成長できます

コーチングしていくと、山登りをするときのように、どんどん、見える世界が広がって、見晴らしがよくなってきます

そうすると、自分の気にしていたことが、今までより少し高い位置から見えて、自分はなにを気にしていたのだろう?と客観的に見れるようにもなってきます

見える視点の高さが上がってきますから、全体が眺められるようになり、自分以外の方の感じていることにも気付けるようになります


自分で、自分のしていることに気付けないと、変化は起こせないんですね

無意識でやっていた行動、思考癖を、まずは気付くことからです

モノの見方、感じ方、受け止め方も、みんな、癖です

癖なだけなので、変えたければ、変えられます


おもかる石も、おそらく、コーチングをする前と、した後では、重さが違く感じるんだろうな、と思います

願いが、「叶えられたらいいな」から「叶える」「やりたいからやる」に変わった時、どんなことでも叶えられるようになります

主体的に生きられることで、望むことが叶えられるようになります








2017/08/28 物事に抗わない  
先週、上の階の方がお引っ越ししまして、それに伴って改修工事が始まっています

今日はお風呂場の上あたりで作業しているらしく、ドリルやトンカチの音などすごい騒音です

おまけに、家のベランダのすぐ脇でも作業しているらしく、知らない男性の声が聴こえるので非常に気味が悪いです笑

アパート暮らしというものは、結婚前以来かもしれません、ずっとマンション住まいでしたので、こんなに壁が薄くて響くのだ、ということに改めて驚きです


午前中、最初は我慢していたのですが、我慢の限界が来まして、まず、ステレオを掛けました

大音量です

でも、やはりステレオの音楽とは別に工事音が漏れてきて、不快です

次に「イヤホンなら音をシャットアウトしていいな」と思いつきまして、ステレオの曲を5曲くらい聴いた後、iphoneをいじってみました

初めてのApple Musicです

分からないながらもなにかJ-POPのMIXをダウンロードできました

いままで必要ないかなと思ってたんですが、こんなタイミングで使うとは思ってませんでしたね

使ってみたかったのですが、操作が分からず面倒くさかったので、やってませんでした

これから使えるようになるのでよかったです

ここで気付いたのですが、Appleさんは、工事業者とタッグを組むと、もっと売り上げが上がるかもしれませんね笑

作業行程表をいただいて、作業内容によっては、カフェにでも避難することも必要かもしれません


工事がうるさい!なんとかしろ!と、大家さんに文句を言っても仕方のないことですしね

 

物事に抗っても仕方がないと思っています

抗った時、そのエネルギーが「その物事」に費やされます

エネルギーが費やされても、改善される内容であればそれもいいかもしれません

動かしようのない巨大な岩石でも、一生懸命立ち向かいますか?って話ですね


ちょうどよい例として、例えば最近、隣人トラブルでの殺人未遂事件がありましたね

風鈴がうるさいので、苦情を申し入れたところ、風鈴の数が逆に増えていって、おまけに鯖の味噌煮を投げ込まれたり、卵をぶつけられたり、最終的には車で隣人に3度もぶつかって、仕舞いにはひき逃げ事件にまで発展した例の事件です

あの事件なんかを拝見して、、、「関わらないのが一番なのになぁ」と思いました


モンスターに抗った時、モンスターの現実に、巻き込まれます

モンスターの世界ですから、モンスターは自分がおかしいと思っていないので、決して引き下がらないですから、ずんずん深みにはまるのです

向こうの土俵に引き込まれます

おそらく、加害者は「風鈴を飾って何が悪い」と思っていたのでしょう

風鈴を飾る自由を奪われた加害者は、被害者意識でいますから、守りに入ります

もちろん、風鈴を増やすなんて、やることがおかしいですけどね笑

どっちが悪い?の話になってしまい、対応を間違えると、お互いが被害者意識になり「卵が先か、鶏が先か」的なことになってしまいます

それで、あのような最終結末になってしまったのだと思います



【物事に抗わないこと】っていろんな意味においてすごく大事だと思います

何かが起きた時、物事や他人を変えようとするのではなくて、自分はどうするか?自分の中で行動できること、自分が変えられることはないか?問うて、いつでも自分でやれることをやるしかないのですね

常に、常に、ただただそれだけです

起きた出来事に対し、相手や環境を変えようとしたり、なにかに立ち向かおうとするから、非常に無駄な力を要するのです

無駄な力を要した上に、問題が肥大化するのです

こちらのパワーも問題に加担することになり、問題を増幅させるのです

問題の火に油を注ぐことになります

「抗わない」センスというか、感覚を覚えると、ゆる〜くうまくいくようになります

 

 

抗うことは、同じ土俵に立つということになりますから、同レベルに引き落とされるということですね

 

おかしな方とは、まずは並ばないことですね

 


隣人トラブル殺人未遂事件の加害者のような方が、もしわたしのご近所さんだったらどうするか、と考えてみました

まずは、なるべく、おかしな人とは関わらないようにすると思います

隠れて静観して、証拠写真、確証事項だけ集めていって、専門家に相談するかもです

なにか犯罪になりそうなことをあえて誘引させるのもありかな??

いずれどこかの時点で、おかしくなってきたら、菓子折りでも持ってお願いに行くかもしれません

お引っ越しできればお引っ越しもありでしょうけれど、ローンが残っていたり、色々事情があれば、難しいでしょうしね


ところで、あのニュースを一部始終見ていて、お母さんよりも娘がモンスターじゃないかと思いました

母が、娘に命令されているシーンがありました

母より娘が狂暴化しているように思えました

まず家庭の中が歪んでいたのだろうと思います

一番の加害者はあの娘さんじゃないかなと思いましたので、娘さんが逮捕されなかったことが、今後も騒動が引きずってしまうのではないかと、ちょっと心配しています



ブログを書いているうちに騒音が静まりました

あ〜静かって素敵です♪笑

今回のうちの騒音は一時休憩だとは思いますけど、抗わないで、自分のやれることをやって、自分の内側を改善していると、知らないうちに勝手に問題が消えてなくなる、不思議なことも経験したりするようになります

それは、自分の中の問題・課題を乗り越えたしるしなんですよね








2017/08/27 共感は、同意することではありません  
昨夜は飲んで帰ったのですが、久しぶりにすごく涼しい夜でした

今日も日差しはあるけどカラッとしているのか、だいぶ暑さも和らいできましたね

なんか初秋に入ってきて幾分過ごしやすいのですが、少し寂しい気もします

暑ければ暑いと騒ぐし、秋に入ったら寂しいなんて、人間って勝手でわがままなものですね



人間って勝手なんですよね、基本的に

自分の視点でしかものが見えにくいものです

それは誰を責めるわけでもなく、誰が悪いわけでもなくて、そうなってしまうもの、基本的にそういうもの、なんだろうと思います


相手に対し、「なんでこうしないんだろう?」「なんでこうしてくれないんだろう?」という思いが出た時は、まず100%自分のモノの見方でしか見ていません


例えば、子供さんがいらっしゃるお母さんが、子供にはチョコレートを食べさせないけれど、義理の祖父母が勝手にチョコレートを食べさせてしまう場合とか、よくありがちですね

何故、「食べさせないでください」と伝えているのに、分かってくれないんだろう?なんて思う時、相手は、「可愛い孫に甘くて美味しいチョコレートをたまには食べさせてあげて喜ばせたい」と思っているわけですね

相手、この場合でいうとおじいちゃんおばあちゃんですが、思いの先は「喜ばせたい」なんですね

自分自身の考えだけで凝り固まってしまうと、「チョコレートを食べさせないのが絶対正しい」になってしまい、食べさせることが悪になってしまうと思うのです

でも、よくよく考えていただければ分かると思いますが、親は子供を育てる義務はありますが、親だけが支配できるものでもないですよね

いろんな方がその子に関わり、皆で育てるからこそ、子供は豊かな情緒が育まれると思います

親が子供にどんな躾をしたり、なにをやってもいいか、となると、虐待ですらまかり通ってしまうことになります

チョコレートアレルギーがあるなら別ですけどね

命に危険があるならそれは食べさせない方がいい、と当然なると思いますけど

普通はちょっとくらい食べさせても、死にませんしね

自分の目から見て一見いいことと思えることも、他者の目から見たら、なぜそうさせるか?と思われたり、かわいそうに見える、というようなことも往々にしてあるんですよね

物事のいい悪いではなく、相手のいい思いを汲んだ時、たまにはいいか、と思えると思います

うちの子、孫を、可愛いと思ってくれてるんだな、と相手の気持ちを思い計らうことが出来たら、「たまににしておいてくださいね」「ありがとうございます」という風に言えるようになるんだと思います

チョコレートを禁止されて育った子は、親に隠れてチョコをドカ食いするようにもなったりもあるようですので、禁止しすぎる、ということも、子供が嘘を付くとか、隠れて禁止されたことをする、という風にもなりやすいんだと思います



「絶対こうでしょう!」「こうするべき!」と頑なに自分自身の思いにこだわってしまうと、他人と衝突しがちになりますね

衝突すると、何事をするにも障害が出やすく、自分の思ったように物事が運びません

なので、自分の思いを通したかったら、相手の思いも感じてみたり、全体から見てみて、他の考えも受け入れてみることが、結局は「自分自身のため」になるんですよね

自分だけの視点から越えて、相手の視点、または全体の視点から見て、どうすればよいか、感じることが出来た時、するすると物事が運ぶようになりますね

自分が思いがあるように、他人も同じように思いがあって、皆自分の思いで生きている、と分かれば、相手の視点からどう見えるだろう?どう考えているんだろう?ということも推し量れると思います

要するに共感能力ですね

共感は、同意することではありません

共感と同意は似ていますが、似て非なるものですね

「そうか、自分はこう考えるけれども、この人は、こう考えるのか、なるほど」と自分の考えはありながらも、固執せず、相手から見える考え方にも共感できたとき、関係性が変わります

片一方が、頑として受け入れなかったからこそ、相手も同じように固くなっていく、、、ということがありますので、まずは自分から考えや意識が変わると、相手も変わり始めます

そうして、少しずつ、分かり合う、ということが出来ます

自分が変わることで、確実に相手も変わっていきます

相手を変えたいなら、まずは自分から、しか根本的にはありません



沢山の方が自分の枠を越えて、相手にも思いを馳せられるようになったら、思いやり合える、今より優しい世の中になると思うんです

優しい世の中のほうが、よくないですか?

わたしは沢山の方が幸せで、イキイキとして、優しく生きていただいたら、日本はもっともっとすごくよくなるだろうな〜って思うんですよね

お金がないと生きていけない、と考えがちですが、お金至上主義ではなくて、助け合える世の中であれば、実際問題人は生きていけますよね

依存はいけないですけどね・・・なので、生活保護を悪用してもらおうと思ってる人などは、厳重に処罰されるべきだと思いますけど

世の中のみんながみんな、変わることは難しいだろうと思ってるんです

悪も、無くならないと思っています


なので、まずは、わたしは、わたしの周りから、同じ意識で生きていこうと思われる方々と、助け合う世の中を作っていきたいです

そういう意味でも、わたしはコーチとしてお役に立てるようなっていきたいです

わたしと関わってくださった方、クライアントさんは、みんな同士です

わたしが生きている間は、一生、なにかしら関わり合って、助け合って、寄り添って生きていきたいです












2017/08/24 「歳を取ったら衰える」は思い込みです  
本日、外はものすごい暑さに見舞われております


午前中、美術館に出展する作品の撮影のために、知り合いのカメラマンさんに来ていただきました

いろんな話の中で、「日常的に運動しているか?」という話になりましたら、カメラマンさんはストレッチをされている、ということでした

お仕事ですごく体力を使うそうなんですね

「カメラワークで瞬間を撮影する際にピントが合ってないといけないので、目もすごく大事やから、老眼にならないように目の運動もしてますよ」って仰ってました

視力が0.4〜0.5で、微妙にメガネをかけないと運転は出来なかったそうなんですが、最近になって、視力を測ってもらったら、初めて運転でメガネを使わなくてもいいと言われたそうなんですね

一年以上も前から目のストレッチもしているそうです

それを聴いて「なるほど〜」と思いました

「「歳を取ったら衰える」って、「思い込み」だと思うんですよ」って話したんですね、そしたら「たしかに〜」ってことでした

今朝から、今日のブログネタはこれ、と思ってたことだったので、非常にタイムリーな話題でした



実際、わたし自身も【「歳を取ったら衰える」は「思いこみ」】を身体で実感してます

いま、髪の毛が、わたしの人生で一番長く伸ばしてまして、もう胸のあたりまで長さがあります

わたしは癖毛で、細い毛、猫っ毛なので、雨の日は広がるし、幼い頃からすごく悩みの種だったのですが、いまはすごく扱いやすいです

というのも、2か月おき位に美容院に行って、トリートメントをしてもらってますし、日常的にもシャンプーとトリートメントでケアしたり、ドライヤーもヘアアイロンも、髪にいい物に変えました

そうしてきて、ほんとにお手入れ次第で髪も応えてくれるんだな、っていまは実感ですね

髪はお顔の額縁なので、髪のツヤって非常に大事ですし、気持ちも昔とは全然違いますね

お顔も、最近、美顔器使ったり、リフトアップターバンを使ったりしてるのですが、始めた時から写真をずっと撮ってきてみて、あきらかに変わっているのを感じましたよ


たしかに、歳を取ってくれば、衰えというものは当然ありますね

それは致し方ないとは思うのですが、それをただ「仕方のないこと」と、受け入れてしまったら、衰えるんだと思います

なにもしなかったら、そりゃ衰えますよ、って話だと思います

「衰えないように綺麗に保とう」と思うことで、それはいくらでも阻止出来るし、以前よりももっとよくなれるものだと思うのです


わたしは幼い頃結構病弱で、すぐ風邪ひくし、虚弱体質みたいな感じだったのですが、今思えば「気」の状態が良くなかったんだろうなとは思うのです

なので、幼い頃や若い頃より、断然今の方が、健康だし元気なんですよ

「若い頃に戻りたい」とか「若いときはよかった」とか話はよく聴きますが、わたしはいろんな意味で今の方が断然いいですね

いつでも、今、この時が一番いいって思えるようになったと思います



「もう歳だし・・・」とか「もう若くないんだから・・・」とかいう言葉を言っているのをたまに聞いたり、浴びせられたりするのですが、わたしはその言葉はとっても嫌いですので、わたしがそう言う言葉を浴びせられたら言葉で打ち消します

そう思ったらそうなるし、歳を取ったことを悲観的に捉えるからもっと歳を取るんだと思うんですね

このことを、ただの精神論だ、と仰るなら、それでもかまいません

けれども、間違いなく、こころが歳を取って、あきらめになってるから、見た目もガタが来るんだと思うんですよ

ただめんどくさいからとか、結果が出るかもわからないのにお金かけたくないとか、理由は様々あると思いますが、結局やりたくないがため、やらないための言い訳にしか過ぎないんじゃないかな〜という風にわたし自身は感じてます

だって、手入れすれば、応えてくれるのは、実証されてますもん

間違いないですよ


大事なことは【何を意識するか】かな、と思っています

なにをみているか?焦点はどこに合っているか?

「段々歳を取っていく」「若さは失われていく」と思えばそこに焦点が合っているのでそうなると思います

逆に、「日常が楽しい!」「お出かけするのがワクワクする」「人と会うことで刺激を受ける」と思ってれば、焦点が「楽しい」「ワクワク」「好奇心」に向いていますから、そうなります

だから、身体の細胞もイキイキしてどんどん活性化するんだろうと思うんですね


先日TVでB'zの稲葉浩志さんのお母さんが出てましたけど、すごくお美しくて、御年79歳だそうですが、全然見えなくてびっくりしました

化粧品屋さんを営んでいるそうですが、ファンの聖地になっていて、毎日沢山のファンがやってくるそうですが、「はい、B'z」って言って笑わせて、記念写真を撮影するそうです

もともとお美しい方なんでしょうけれども、日々、生きがいがあるから違うんだろうな〜ってすごく思いましたね


環境のせい、歳のせい、他人のせいなど、自分以外のもののせいにしたくなる心理はあります

けど、100%自分です

自分が思ってる通りの自分になってるんです

そのことを受け入れた時、自分がよくなるように行動した時、現実は変わるんですよね

何かのせいにして人生を終えるか、全部自分と受け入れ、前向きに生きるか、双方の生き方は、天と地ほど結果が変わってくると思います

2017/08/23 「自分」を大切にすること  
上の階がすごい勢いでうるさいです

どうやらお引越し、みたいです

このような状況の中、ブログを書いてみたいと思います

爪が伸びたのか、キーボードのミスタッチが多いです

指が長く見えるので、いつも爪は長めにキープしてるんですね

そろそろお手入れしないと、です


わたしは今から7年前に、約一年間コーチングを受けて、自身の内部がすごく変わりました

自信のなかった自分が、自信を持てるようになってきました

コーチングして、「完全にこころが出来上がりました!ハイ、終わりです!」

・・・てことは一切なくて、ですね・・・(^^;

こころの世界って、どこまでも一生学びなんだと思います

自信も、少しずーつ少しずーつ、深まっているような感じです

「セルフコーチング」というものが身に付くので、一生自分自身を高めていけるんですね

人生は、一生成長、一生学びです


まず、それまでのわたしと何が変わったか?というと、他人にぶらされなくなりました

「自分軸」と言いますが、揺らがない自分自身の軸が出来たんですね

自分軸の土台は「過去の自分の経験」だと思います

コーチングの中で、カリキュラムがありまして、過去の自分、これまで経験してきたこと、その時々の過去の自分を、いまの自分が、改めて見つめ直します

過去の出来事は、今自分がそうなる必要があったという因果関係を理解すると、自分が感じていた見方、感じ方と変わって、「全部意味があったのだ」と思えるようになり、土台が強固になるんだと思います

ですから、その土台に生えている、自分という植物の、芽、幹が、安定します

土台を否定しなくなるから、これでいいんだ、と思える自分でまっすぐ成長できる、という、、、

そんな感じですが、伝わりますでしょうか?


他人にぶらされなくなった、というのは「いつでも常に自分の価値基準にあった選択ができているかどうか?」だと思います


選択にも色々ありますが、どんなことでも、自分が何かを得るために、選択しているんですよね

例えばですが、、、

家族が、自分に「ああしなさい」「こうしなさい」とうるさいので、家族の言ってくることを選択したとします

その時に得たいもの、選択している基準は「うるさく言われないようになること」ですね

選択した先のことは、自分が望まないこと、だったとしてもですよ、自分自身は「うるさく言われないようになること」を選んでいて、それを実際得ているはずなんです

一瞬静かになっただけだったとしても、それを選択しているんですね

または、自分よりも、家族の思いを優先しているのかもしれません

とにかく、見ている、選んでいる先が「そこ」ってことです


または、あんまり好きじゃない人ないんだけど、この人と付き合っているとなんとなく得するから、とか、仕事をもらえるから、、なんて理由で付き合っている場合なんかもそうですね

「得したい」「お金を得たい」という欲から、付き合っているのですから、この人好きじゃない、気持ち悪い、と思ってても、得やお金を優先しているんですよね

権力に笠着せてる、悪代官みたいな、気持ち悪い人といることを選んでいるのは自分です

そうして、自分の本当の気持ち、こころを売っていってしまうから、「幸せ」は遠ざかってしまうんですね・・・

さらに、そういう人の気持ち悪〜い波動もいただいて、自分自身もなにか欲にまみれた薄汚いオーラになっていくわけです・・・

付き合っている人と、どことなく雰囲気も似てくるんですよね・・・


わたしもそんな経験が全部ありますから、人のことは言えないんですよ(^^;


でも、そうした経験を通して、これじゃだめだ、と実感し、「自分の本当に望むことは何なのか?」心の声を聴いて選択し、行動できるようになったら、幸せ感が全く違います

誰にも邪魔されない人生、というものを謳歌しています

不思議なもので、自分のこころの声を聴いて選択し、行動するようになってから、不思議な奇跡が起こるようになりましたし、なんか一見よくない出来事に思えても、最終的に物事が結局いい感じでまとまるんですね

流れがいいな、っていうのをすごく実感してます

「あーそういう風に最終的になるために、その過程で自分の内面に気付かせてもらうために、起きた出来事だったのだ」とあとからわかる感じです

なるほど!ってね

この世は本当に不思議で、ほんとうの意味でその人がよくなるようになっています

愛にあふれているな〜って思います


自分を大切にすること、って、「自分自身のほんとうのこころの声を聴いて選択し、行動すること」です

誰の人生でもなく、自分の人生、なんですよね

周りがこういうから仕方ないだとか、親を喜ばせたいから自分の選択を親の望み通りする、とか、一切関係ないんですね

自分がほんとうに望むこと、したいことをしていった先に、本当の意味で周りを喜ばせることのできる人になれるし、親も喜ぶ人になれます

誰かの選択を受け入れることが、素晴らしいことではないですね


まずは自分です

自分がしっかり立って、自立して歩むことで、他の人をも支えることが出来ます

わたしはいま、すっごくしあわせなので、しあわせになりたいなーって思う方がいらっしゃるんでしたら、この感覚を、いくらでも教えてあげたいんですね

お役にたてるのでしたら、惜しみなく、伝えたいです

わたしも以前は「もっとしあわせになりたい」、って思って、自分がどうやったらよくなれるのか?を愚直にやってきて、いまそうなれているのです・・

ですから、もし本気で望むのでしたら、誰でもそうなれると思います

そうなれてる自分がすごいとか、いいでしょう?って自慢したいとか、そんなことを言いたいのではありません

ただ単に、しあわせを感じられる人が増えたら、HAPPYな世の中になるだろうし、優しい、素敵な世の中になるだろうな、って思ってるから、だけなんですね

単純発想です


とにかく、人生をよくするためには、自分のこころを見つめて、自分に気付き、変えていくしかないんですね

自分のこころの内面に比例して、外面(現実面)に起こる世界が時間差でよくなっていくのは、不思議ですが、真実です

そう聴いて、想像し、考えてみても、全然分からないと思いますし、何言ってんのかな?って思われるのかもしれません

体験が全てです

このコーチングは「自分のおもいのまま生きられるようになり、人生うまくいくようになる」コーチングです

自分にとっての成功は、自分自身の中にしかないんです

それを引き出していきます






2017/08/22 開き直ること  
本日は、コバエがうるさいです

すごくわたしは好かれているみたいです笑

腕などに寄ってくるので、容赦なくパチって叩くのですが、ただただ叩かれたわたしの腕が痛いだけで、さっぱりしとめられません

悲しい事実です


いつもわたしのコーチにセッションしていただくときに、一週間の出来事を聞かれて、始まるのですが、自分のお仕事の話から、話していって、そのあとコーチ自身の体験談などもお聞きしています

「僕もいままでに3〜4回は「もうだめだ」と思うようなことがあったけど、どうにかなっちゃうんですよね」といつも仰ってて、そんなもんなのかな〜ととても勇気づけられています

この「どうにかなっちゃう時」っていうのは「開き直った時」らしいんです

あきらめ、でしょうかね〜


開き直りって、ふてくされて、他人に対し開き直るのとは、訳が違っていて、この場合の開き直りは、自分のことについての開き直りについて言っています

 

開き直りって、一見投げやりに聞こえるかもですが、すごく前向きなことなんじゃないのかな、って思うんです

【どんなことであっても、全部を受け入れること】、なんだろうなと思うんです


「もうなんとでもなれ!」と思う時って、やることはやってても、結果が出てない時だと思うんですよね

やることはやってるんだったら、あとは、運を天に任せる、じゃないですけど、信じるだけ、ということなんでしょうね〜

そのときにあきらめる、というか、「こうしたい」「こうなったらいいな」などを捨てる、手放すことなのかなと思ったんです

そう考えると、「こうなりたい」ということが、結果に対する執着になってるのかもしれないなあと思いました

「仕事が上手く行けばいい」「お金がもっと入ったらいい」とこころが思ってしまって、そのことに、きっと、とらわれ、しがみついてるんですかね〜


自転車を乗る時って、何かにつかまってたらスムーズに進まないですもんね笑

例えるなら、そんな感じなのかも?と思いました

スケートだって、怖い怖いいうて、手すりにつかまってたら、すいすい滑れないです

もしかしたら「開き直ること」ってそんなことに似ているのかな〜?なーんて思いました

日頃から、目に見えない流れに乗ることがすごく大事だとわかってはいるんですが、怖い怖いとしがみついて流れを止めてるのは、ほかでもない「自分」なんですね

わかってはいるんですが、、、しがみつきたくなりますね


慣れていないんだから・・・たまにしがみついても、いいですよね〜?笑

「開き直らなきゃ」「開き直らなきゃ」って思ってしまったら、今度は義務になってしまって、違う意味で上手く行かないんだと思います

こころって、難しいですね・・・


手を離す練習は、うまくいくこと、イコール、成功体験から感覚を掴むことしかないんだ、と思うんですね

開き直ってみて、うまくいったら、その感覚を覚える

そして、手を離して、スイスイ流れに乗ることが出来るようになるんですかね

練習が大事かな??

わたしは結構大胆なほうなので、なるべく手を離して流れに乗ってみて、方向修正していけたらいいなあ。。とは思うのですがね


結局、開き直ることって、「決意」、「覚悟」、「受け入れ」なんだろうなあ〜と思いました

ズッデーーーーんって転んでも、しらばっくれて涼しい顔をしているのは得意なので、いっぱい転んでもいいかなとも思います笑

失敗はそこで止めたら失敗ですが、うまくいくための経験でしかないですし、ね

痛くない転び方を習得するのも、大事かなあ。。。笑



2017/08/21 自己価値は高められます  
今日は午前中、貴船神社に行ってきました

先日、はじめて貴船に行ってみて、貴船神社の奥の宮の、あまりのパワーに「素晴らしい」と思いまして、コーチングというお仕事柄、気を上げておくことがとても大切なため、月一回は行こうかなと決めておりました

今日もベンチでゆっくり座り、パワーを存分にいただいてきました

奥の宮で写真を撮影したら、緑の玉が写ったり、不思議な写真も撮れちゃいました


なにかラッキーなことが起こるかも♪なんてワクワクしています


今日は自己価値について、書いてみたいと思います

自分に価値がある、と知っていることを「自己価値感がある」と言います

人は皆、生まれて、成長し、存在するだけで、皆に喜ばれ、価値のあるものなのですが、なんらかの理由によって、「自分なんて生きている意味がない」とか「皆のお荷物だ」なんて、誤った感じ方から「自己価値がない」と思うようになってしまいます。。。

本当にもったいないことです。。


例えば・・・

両親から褒められたことがないとか、認められなかった場合に、自分を認めることが出来ず、自己価値感が低いですね

わたしの友達にもいて、、、そういう方は、同じように自分の子のことも褒めることが出来ないんですね

どうやって褒めたらいいのか?褒め方がどうやら、わからないみたいです

そして、自己価値が低いと、同じようなレベルの方々なのに、周りの方が自分よりすごくできるような気がして、居心地が悪く、明らかに自分よりレベルの低い方の中にいることで、安心感を得ようとしたりします

一般的にはすごくいいと思われる職業に就いたのに、なにかがきっかけで鬱的になり、仕事を辞めて、結局、子供がいながらバイトを二つもかけもちして、ものすごく忙しく、夜中まで働いて身体を酷使しているのに、以前より安月給、っていう生活になってました

本人は、前職を辞めて満足はしていましたが、でも、はたからみると、能力も高いし、もっと楽に給料ももらえて生きれるのに〜。。と思うと、勝手ながらすごく残念に思います


あとは、家庭的に問題があったりですね・・・機能不全な家庭で育ったり、虐待を受けて育った場合に、自己価値は低くなってしまうようです

いわゆる「毒親」というのでしょうか・・親が親らしくなく、常に家庭内が緊張していて、子供が、親に十分に甘えられなかったり、幼いうちから親の面倒をみなくてはいけなかったりする場合に、自己価値や自己愛、また共感能力などが未発達なまま成長してしまうようです

親の顔色を見て、親の面倒を見たり、気に入られることでしか、自分の価値を感じられなくなってしまい、自己価値が低くなってしまうもの、のようです

機能不全家族・・いわゆるアダルトチルドレンの方は、共依存にもなりやすく、ご自身が結婚して家庭を得ても、同じように機能不全家族になったり、夫のDVなど受けたり、ということも、とても多いようですね

わたしの知り合いでも、母子家庭で育った子ですが、お母さんが娘にとても依存していて、結婚するときは、お母さんの気に入らない相手だということもあって、すごく旦那さんのことをけなしたり、別れるように仕向けたり、説得したり、とにかく、旦那さんが嫌になるようなことを延々聴かされてて。。。しかも、大きく引き伸ばした結婚写真には、両目に突き刺した穴が開いてました・・・

それを見て、行き過ぎにもほどがあると怖くなりましたね

子供の幸せを潰そうとするなんて、なんて恐ろしいことをするんだろう、って思いました・・

過度に依存してきた家庭環境から、なにか、自分が誰かの役に立てないと、存在する意味がない、と思ってしまうんですかね

なので、この人はわたしがいないとダメな人、暴力をふるうしょうがない人だけど、優しい時もあるの、って言い訳して、自己肯定しちゃうんですね

そういう関係でしか、幸せを感じられなくなってしまうのです



あとは、なんでも親が先回りしてやってあげたりとか、過保護、自分で考える機会、選択する機会を与えないなども、自己価値が低くなるようです

結局自分が決断しなくても、進んでいってしまうことは、自分がいる意味、価値を感じられなくなってしまうのでしょうね


わたしなんかは4つで父を亡くしていまして、母がわたしが幼いうちから入退院を繰り返していましたので、親に問題があるというよりは、物理的に愛情の欠如であり、結果的に自己価値、自尊心の低い人間だったのかな〜というふうに自己分析しています

ただ、おとなしかったわたしなので、母親が、誰かがわたしに対して話しかけたとしても、わたしの代わりに勝手に答えてる事も多かったですし、母が愚痴を言ってるのをいつも聴いてあげる、ということもあったりして、家庭環境としては健全とは言い難かったかもしれません


そんなわたしでも、今では非常に自己価値を持って生きていますので、もし、自己価値を高めたいと思われるのであれば、大丈夫

自己価値を高められます

親にされたこと、してもらえなかったことの逆をやっていけばいいのです

その、親御さんの出来なかった部分の、代わりの役割を果たすのが、コーチです

ですから、コーチ業はある意味、お母さん業です

こころの教育のカリキュラムが組まれており、今の自分が出来上がった因果関係も理解しながら、現在の問題点、未来をどうしていきたいかも、全てセッションでやっていきますので、生きる指針が出来ます

これまでの経験も、全て意味があったのだ、と、感謝心すら湧いてくるようにもなる方もいらっしゃいますよ

自己価値が高まれば、自信も出ますし、セルフイメージも上がるので、コミュニケーションもいままでより自信を持ってできるようになるので、あらゆることが総体的によくなっていきます





2017/08/20 思い、意識がなぜ大切なのか  
お盆も過ぎて、今日はもう20日ですか

8月も終わりに近づいて早いものです

まだお昼ですが、今日も珈琲3杯目、ブログ書いたらフェルトの制作に入ろうと思います


私共のコーチングでは、そもそもの思い、意識が変わるところから体験していただきますが、何故、思い、意識が大切なのか、ということを書いてみます

さっき歌手のM.JAYさん見てて、かわいいなあと思いました

着ているドレスと口紅の色が赤ともオレンジとも言えない、綺麗な色で、合ってたんですね

例えばですよ、M.JAYさんが、「わたしって綺麗でしょ?!わたしが一番よね」みたいに思ってたら、ドヤ顔になるし、アクの強さが前面に出てくるんだと思うんですね

ナチュラルな美しさ、透明感、っていうのは、こころの透明度から来ているような気もしますし

「わたしって全然綺麗じゃないし・・どこも取り柄がないし・・」と思ってたら、その内向きなこころが、自分だけで終わっちゃうんですよね・・・くすんできてしまいます

自分の良さをだしてオシャレを楽しもう、とするところで、オシャレを楽しんでいるだけで、周りの方も見ているだけで、可愛いなって思うし、楽しくなるんじゃないかな、って思うんですよね

女性が綺麗でいようとすることは、すごく大事かなって思うんですね

残りの人口の半分は男性ですから・・・あ、たまに真ん中の方もいらっしゃいますけど笑 

でも、男か女かしかいないのは間違いないですし、真ん中の方も女性か男性かどっちかを好きだと思いますし、どちらかというと、日本の社会は男性社会で、グレーやホワイトカラーなどですから、女性が綺麗でいたほうが男性もウキウキして、女性同士でも見てて楽しいですし、社会が確実に明るくなるんじゃないかなって思うんですよね


思っていることって、案外伝わってしまいます

例えば、私共のコーチングは、わたしは変化を望む方であれば、結果が出るって分かっていますから、自信をもっておススメするんですけどね

それが、もし、わたしが自信がなかったら、おススメできないわけですね

そうすると、お客様は、いいものだとしても、そこに辿りつけなくなってしまうわけです

せっかく目の前に、自分が変われる手段、武器があるにもかかわらず、お客さんは手に取れなくなってしまうわけですね

このコーチングで人生変わるくらいですので、すごく、じつは、わたしの勧め方が責任重大なのです

私欲ではないということ、あなたにとって必要なコーチングということを分かってもらうこと、その上で、選択はあなた自身で、というところですね、そこのさじ加減が非常に難しいわけです

コーチングのように目には見えないものを商品として扱ってますから、難しいのは当たり前なのかもしれませんけどね


営業の人が、自分がいいとも思ってないものを売るとしたら、どうでしょうか?

そこには嘘が入りますね、、

そして、言葉や態度に「売りたい」「売上を上げたい」という私利私欲の感じが混ざります

胡散臭さに繋がりますよね

そうすると、お客さんは「売りたいんだな」「この人が買ってほしいだけだ」と感じるから、頑なになり「買わないでおこう」となります


扱ってるものがいい物なのに、自分に自信がない場合はどうでしょうか?

「営業すること」が怖いこと、上手く行かないこと、と考えてたら、上手く行くわけがありません

伝える事が固くなってしまうと思うので、商品の良さが伝わらないし、お客さんは買う際に「自分にとって必要なものかどうか?」の視点で考えるわけですから、営業マンが自意識の中だけで終わってたら、思いはお客様に辿りつくことはありませんよね

それでも、物が良ければ、特別何もしなくても売れるのかもしれませんけどね


とにもかくにも、思いっていうものは、伝わるし、行動にも自然に出てしまうものですね

なので、「こころ」というおおもとの始まり、「思い」「意識」からいいものに変えていき、また、邪念を取り除いていければ、間違いようがないのです

自信もつきますから、なんといいますか、上手く行かないわけがないのですね

いい種を植えて、雑草を取り除きながら、光や水、養分を与えていけば、立派で、綺麗な花が咲くのですね


何故上手く行かないか?という時、そもそもの種が間違っている場合もあるでしょうし、雑草がぼうぼうの場合もあるでしょうし、光が不足している場合もありますね

そもそもの思い、意識という種からご一緒に見つけていくこと、また、当たり前すぎて気付けなかった、見えなかった視点もコーチが鏡となって気付ける

のが、このコーチングです

 

もちろん、それだけに留まりません


2017/08/19 極端に感情の針が振れる人  
少しずつ日が短くなってきたように思います

ただいま18:30ですが、もう暗くなってきてますね

秋から冬に向かっているのかな〜と思うとなにか切ないです

ご飯の炊ける香りを嗅ぎながら少しブログを書いてみます


お付き合いしていた人、お友達がいたのに、何かがきっかけで「全部嫌い!」みたいになってしまう方、いらっしゃいませんか〜?

先日、ちょっと知り合いからお聞きしたことがありました

二人は仲いいと思っていた人たちだったのですが、何かがきっかけで片方から「絶交」を一方的に言い渡されたようです

その方、仮にAさんとしますが、なにか仲悪くなる前までは、Bさんのために、色々と協力はしてらっしゃったみたいなんです。。。

それを知っているだけに、ちょっとしたことで「絶交」ってなってしまって、なんでなんだろう?と思ってしまいます


これまでの、お付き合いの中での、いいこと、AさんのいいところもBさんはもちろん知っていたはずなんです

なのに、何か一つのことがきっかけで、「全部がダメ」みたいになってしまうのは、逆にBさん自身の人間性も疑われてしまうんじゃないかな〜とおもってしまいます

Aさんにしたら、あんなに遊んでたのに。。手伝ったりもしていたのに。。と思えば、一方的な絶縁にがっかりし、憤慨もするでしょうし

Aさんが何をしたのかは知りませんが、Bさんは「わたしにこんなことをしてきた」「こんなことされた」と思っているのでしょう

コミュニケ―ションをしてないらしいので、Aさんのその真意だって伝わってないし、決めつけて、全て関係をダメにしてしまうって言うのは、まず、あらゆる人間関係がうまくいかないでしょうから、大変そうだな〜と思います

絶交されたAさんよりも、逆にBさんのことが心配になってしまいます


なにか、否定的なことをされた時の、対応が大事ですかね

否定的なことをされたからといって、された側は何をしてもいいわけじゃないですし、まず、その否定的に捉えた出来事の本質が、どういうことなのか?確認が必要ですかね

そこを相手に確認しないうちは、ただの思い込み、決めつけになってしまいがちですし、コミュニケーションをしないまま、縁を切る、っていうのは、自分にとっても損失です

お世話になった事実を、全部踏みにじることになり、ご恩もなにもなくなってしまいますし、これからも協力し合える仲でいられるかもしれないし、そこから出会いもさらに広がるかもしれないのに、人間関係の可能性の芽も潰してしまうことになりますよね


ですから、極端に感情の針が大きく振れる方は、要注意ですね

無意識に、人を傷つけてしまいますしね

人との縁を切ることは簡単です

でも、人の縁は、作ろうと思っても、なかなか作ることは出来ません

相手に見えた部分だけで人を判断し、見くびってしまったら、どんな人ともうまくいきませんね

細やかに、相手を知ろうとすることで、いろんな面が見えてきます

それには、やっぱりコミュニケーション、なんですよね

極端に感情の針が振れてしまう方は、思い込んで、激高し、コミュニケーションを閉ざしてしまうんだと思うんですね

コミュニケーションというものは、どこまでも諦めず続けていけば、必ず妥協点が見いだせると思います


なにかあった際に、相手が悪い、相手のせいとしているうちは、なんでも関わる人のせいにしてしまい、相手がよければいいですが、もし相手が悪かったら悪い結果、と状況をコントロールすることが出来ません

なにかがあっても、相手のせいにはせず、どんな相手でも、柔軟に対応できる自分、自分のこころを作ることで、どんなことも上手く行くようになり、状況もコントロールできるようになるのですけどね

生きていくうえで、コミュニケーションはめちゃくちゃ大事です

自分のこころ、メンタルを作り、コミュニケーションも身に付けたら、鬼に金棒です



極端に感情の針が振れる人は、敵を作ってしまうので、生きづらいでしょうね

感情のアソビの部分というか、100か0かで決めるのではなく、ちょっと緩く、様子を見る、許す、ということも、あったほうが自分にとってもいいと思います

結局、極端に感情が振れる方は、こころが固く、余裕がないのだろうと思いますね

絶交などしなくても、適度な距離感をはかって、お付き合いするのが一番いいのではないのかな、と思いますけどね

昔のわたしも100か0かみたいな、極端な感じでしたけど、今は、どんな方のいいところも見れるようになって、とてもラクですね

自分がラクだったら、周りもラクなんだと思うんです


2017/08/18 出せる強さ、越える勇気  
セミが残り少ない夏を惜しむかのように一生懸命鳴いております

ヒグラシの声や虫の声も聴かれるようになり、初秋に入ったような気がして少しさみしいですね

季節が過ぎるのは早いものです

人生も、同じように、過ぎるのが早いものだと思うんですよ


ニュースを見てましたら、女子大生が茶畑に生後間もない赤ちゃんの遺体を遺棄したそうです

おそらく、望まない妊娠だったと思うのですよね。。

わたしは以前、公務員の時に「周産期医療」といって、お産に関する医療に携わっていたのですが、妊婦健診を受けなかったり、救急搬送される例っていうのは、社会的弱者の場合が多くて、乳幼児死亡、児童虐待なんかでも、望まない妊娠と密接に関連していたりする、という事実がありました

妊娠が、好きな相手の子なのか、レイプなのか、今回の事件に関して事情は定かではありませんが、とにかくその女子大生の子が事実を隠したくなる心理があったと思うんですよね


昨夜、SNSから犯罪が起こる例として、「秘密をばらされたくなかったら裸の写真を送れ」だの、そんなことで若い子がネットで晒される被害が多発している、とTVで観ました

恥ずかしくて親にも友達にも警察にも言えない、ということで、被害が広がっていくものだということでした


隠したくなる心理から、犯罪が深刻になる、というのは、お笑い芸人さんの事故などでもそうだと思います

ノンスタイルの井上さんなんかも、当て逃げで活動自粛になっていたと思いますが、ほんのちょっとの車の事故だったと思うのです。

すぐに謝ればすんだことなのに、「ばれたら困る」という心理から、隠したことで、もっと深刻な話になっていってしまったんだな〜と、人間の弱さを見る思いです


これらのことのように、自分の非を認めず、何か隠そう、隠そう、とすることで、かえってよからぬ方向に行ってしまいます

非を認めていたとしても、隠そう、とする時点で認めていないのと一緒やと思います

隠す、とか、しないようにする、とか、なんにつけてもですが、考え方が否定的、マイナス方面に向かったとき、物事はうまくいきません

否定形の考え方からは、否定的な方向にしか物事も行かないようなっているようなんですね



その裏側には、実は人を信用できない、という真理も潜んでいるのかもしれません

自分をさらけ出しても認めてもらえる、という自信もないのかもしれません

それらは実は一緒のことです

自分を信用できないから、他人をも信用できないのです

自分に自信がないから、他人を信用できないのですね


非を認め、出せた時、意外と他人は寛容です

何故なら、皆、隠したくなる心理は内側に持っていて、気持ちを理解出来ているからこそ、出せた勇気、自分の恥ずかしいことを教えてくれた人に対し、エールを送るのだろうと思います

例え誰かが間違ったことをしたとしても、許せ、そこからどうしていくか、皆で考えられれば、事件を食い止められ、悪い方向にはいかないんだと思うんですね

なので、もっと皆が、世の中が、間違ったことをした人を許す、寛容になる、ということも大事だろうと思うんです

なにか、人を責めたて、徹底的にバッシングする現在の風潮はどうかと思います


コーチングでも同じです

わたしのお知り合いが申し込んでくださることが多いのですが、それって、わたしに自分の弱さをさらけ出してくれてるからこそ、だと思うんです

知り合いゆえに、恥ずかしいとか、知られたくないだとか、思ったとしたら、コーチングをやりたい、まで気持ちがいかないと思うんですね

まずはわたしを信頼してくださって、全部見せてくださること、そのことが本当にうれしいし、だからこそ、わたしもコーチとして、一生を帆走する同士として、精一杯どこまでもお付き合いさせていただこうと思えるんです

内側にこもる方向から、何か自分を超えて、外に出そう、とすることで、良い方向になっていきますよね

出せる強さと、越える勇気なのかな、って思いますね

それがあれば、変わっていけますし、あらゆる事件も減っていけるんじゃないかな、って、わたしは思うんですけどね



2017/08/15 「なぜ争いは起こるのか」を考えてみた  
お盆も中日で、今日あたりは随分と涼しい、曇り空の京都です

ドバトが鳴いていますが、わたしにとっては幼い頃のお盆の時期を思い出します

近くの竹林から、よくこの時期ドバトの鳴き声が聞こえていました

震災で全壊で、移転しましたので、今は無き実家での思い出です


今日は8/15、終戦記念日ですね

72年前の今日まで、戦争していたなんて、この平和な現代の日本で、戦争があったことが信じられません

戦争したって、なにもいいことはないのに、何故無くならないのでしょうね

いろんな力や思いが働いているので、理由は一筋縄ではいかないと思います

でも、そもそもなんで争いが起きるんだろう〜?って少し考えてみたくなりました


松居一代さんだって、あれはある意味戦争ですね

明らかに松居さんが戦争を仕掛けています。。

松居さんの修羅場離婚劇の例から考えてみると、「自分は正しい」という思いこそが争いを生むんだろうなということがよくわかります

実は人間は皆「自分は正しい」と思って生きているんですよね

「それっておかしいんじゃないか?」

「それ間違ってるでしょ」

「わたしの方が出来るに決まってる」

そんな思いから争いは始まるんだな〜と思います

自分の正しさ、自分の方が上だということを証明させようと、争って、相手にダメージを与えることで、優越感に浸りたいんだと思います


なにか、「あの人だけがいい思いして悔しい」という思いは、実の親子関係、義理の親子関係、友人関係、そんな身近なところにも溢れていますね。。

 

自分に近い存在だからこそ、同じように思ってしまい、比較し、「なんでわたしと一緒じゃないの?」と思ってしまいがちなんだと思うんですね

 

殺人事件だって、加害者、被害者は実の親子等が多いですね

 

自分と近い存在は、理性のタガが外れてしまいやすいのかもしれません


優越感に浸りたい、相手より自分が上でありたい、その思いの根底の部分って、結局「自信のなさ」に起因するんだと思うんですね

自信があれば、相手をおとしめて、自分の正しさを証明しよう、とする必要もないわけです


例えば、お義母さんが嫁の前で、「わたしの方が料理が出来るのだからあなたの方が上手なわけない」な〜んて思ってましたら、それは間違いなくお嫁さんに伝わるわけです

そして、どうでもよい、嫁姑争い、冷戦が始まるわけですね〜

怖いですね〜。。ホラーより怖いです

くだらないプライドなんて捨てたほうがいいのです

愛情が行き過ぎて、母が「嫁のあなたなんかより、息子とわたしの方が絆が強いに決まってる」って思うから、変なライバル意識が生まれるのです

親子なんですから、本来、そんなもの当然なんです

きついこと言うと、そう思わないといられない、息子と、親子の絆に自信が持てない関係性しか築けてこなかった、ということだと思います

親子の絆に疑いようもない自信があり、なおかつ息子さんのことを考えたら、息子さんのサポートに回るのが当然だろうと思います

息子と嫁は、そもそも他人ですからね〜

嫁に可愛い息子をとられた、と思う時点で欠乏感満載なわけです

こころの中にしっかり絆が根付いていれば、そんなこと、思いもしません


自分の正しさを主張するより、ほんとうの幸せはどこにあるか?見失わないようしないといけませんよね

姑のプライドがあるから、姑は嫌われ、嫌な関係から抜けられないわけですね

これはもちろん、例えばの話で出しましたが、姑さんだけが悪いということではなく、その人それぞれのいろんな関係性があるだろうと思いますので、この限りではありません


あとは、自分だけ得したいと思う、損得勘定も争いのもとなのかな〜と思ったりします

国同士の戦争なんて最たるもので、国家の利益のためにするわけじゃないですか

軍事兵器を製造することで、儲かると思ってる企業もあるわけで、自分のところの企業が儲かればいい、自分のところが得すればいいと考えてるから、戦争を助長して、実際戦争になって、自分たちの命も危うくなるわけで・・・

「本末転倒」「元も子もない」ってこういうことかなと、、、

非常に愚かなことだな〜と思いますね。。。

自分が得したい、というのは「誰かから奪わないと得られない」と考えている幻想なのだろうと思います

豊かさは限りがある、限定的意識から、そうなるのかな〜と思います

損得で考えるのではなく、自分にとっても相手に取っても、よい結果になるようしていこう、と思えれば、自分も豊かになって、相手も豊かになって、って、みんなで豊かになれるはずと思うんですよね

それはやっぱり、豊かな気持ちでいることから、なんですね、それだけで豊かになるんだと思うんですよね

気持ちのいい人は、いい人が沢山集まってきますので、結果的に目に見えて豊かになるのは、あとは、時間の問題ですね


例え、いろんな負の思いが自分の中で渦巻いていようとも、「相手を傷つけないようにしよう」と思えるだけで、争いは防げるのだと思います

相手をどうにかしてやろう、と思うから、戦争や、事件や、争いになるわけで・・・

理性があることで人間が人間らしく生きられるわけですよね

争うことで「なにか得られるか」と考えると、理性的なまっとうな人なら「なにもない」と分かると思うんです

まずは、人と争わない、批判しない、攻撃しない、武器を捨てる事かなって思います


考えていきますと、やはり、自分のこころの中が、全ての物事の発端である、と気づくわけですから、こころを律していくことは「全てがよくなること」と分かると思うんですね

争いって、自分のこころの中が平和でないから、起こしたくなるんです

まずは、自分のこころの中が平和であれば、それだけで、幸せになっていくんですよね

意識は現実を創ります

多くの人のこころが平穏になっていけば、争い事は少なくなって、非常に生きやすい世の中になると思うんですよね

まずは自分からかな、って思いました






























2017/08/12 断る勇気  
今日は幾分涼しい京都です

クーラー掛けずに窓を開けています

わたしの故郷は宮城なので、実家やお友達に聞いたら、長袖着てるくらい涼しいそうなんです

13〜15度くらい違う様で、同じ日本でもそんなに違うのか、と驚きました

こちらは幾分涼しいと言っても蒸し暑く、やはり夏は暑い暑いといいながらも夏らしい方がいいのかな〜と思っているわたしです

セミの鳴き声が鳴り響いております


突然ですが、断りたいのに断れない、ってことありませんか?

断ったらどう思われるだろう・・・

嫌われないか、関係が悪化しないか、と考えてしまったりありませんか〜


わたしにもこんなことがありました

息子が部活の部長になった時のことです

その部活のしきたりで、部長の親が親の会の会長をやる、という習わしだったらしいんです

でも、息子が高校二年の時、わたしはまだ公務員をやっていて、異動したばかりだったのですが、とても忙しい職場に異動になってたんですね

医療関係だったのですが、わたしは地域医療の担当で、震災後に地域医療が見直されて、需要が高まっていたため、国からの予算もどかどか来ていたんです

予算が来る、ということはその分お仕事も増える、ということで、事業の本数も以前の倍くらいになっていました

そんな状況でしたので、毎日夜8時、9時、10時と残業続きでした

ですから、親の会の会長なんて、絶対無理やし、お断りしたんですが、かなりしつこく「前例踏襲」を説得されました

でも、嫌われるの覚悟で受けませんでした

別な方にこちらからお願いして引き受けていただくことにして、そのことも伝えてなんとかご理解いただきました

息子には、「ごめん。お母さん絶対無理だから、やりづらいかもだけどお願いね」っていうことを伝えましたら、息子は「いいよ仕方ないから」と言ってくれました

前例踏襲で会長をやるよう、わたしに押し付けてきたお母さんは、平日の日中にわたしの知り合いのお食事処の予約のお願いなんかもメールでしてきていたので、「公務員は暇」っていう思い込みがある方だったんだろうなって思います

「忙しくてそんな暇ないので、申し訳ないですがご自分で予約してください」って返事しましたね

だって、付き合ってて、大変になるのは自分ですから、きっぱりお断りするしかないんですよね


その後、やっぱりやりづらいのはありました

やりづらい言うか、なんか私が行くと「しら〜っ」とした空気は感じました

でも、せいぜいその程度です

一応は皆さん大人なので、そこまで嫌な対応はなさりませんでした(一部あからさまに嫌な感じの人はいましたけどね・・・笑)

仕事も忙しい上に、親の会の会長も引き受けて、やれるような体力はわたしにはないです

身体を壊してしまってたと思います

現に、引き受けなくても、仕事で、体調を悪くしましたしね

どう考えても無理だったと思います


誘いがあった時に、「行きたくない」「できない」「絶対無理」と思ってるのに、断れなくて・・結局嫌々付き合うこと、ありませんか

 

いい人でいたい、嫌われたくない、っていうのは分かりますが、いい人でいても、嫌われるときは嫌われます

 

こころの声を無視して引き受けて、大変な思いをしたとしても、それは、自分が大変なことを選んだ、ということなんですよね

 

誰のせいでもありません

 

断れない、他人の目が気になる自分がいる、ということです

 

思ったことを言えない、主張が出来ない、自分がいる、ということです

 

 

わたしは仕事をしていたので、自分のいるフィールド、職場がある、という意味で、お母さん方に別に嫌われてもいいやって思えるだけ、まだましだったのかもしれません

 

仮にわたしが主婦だとしたら、どこにも逃げ場がないので、やっぱりママ友さんとか、塾の親同士とか、そんなところが居場所になってしまいがちなので、断りづらいっていうのはあるかもですね

 

でももし主婦だったら会長をやれてると思うので、今回の事例だとあてはまらないですね

 

 

無理をして相手に合わせるとかではなく、すごく大事なのが、やっぱり「自分の思いを相手に伝わるように伝える事」だと思います

 

言えない、断れない、と思うのは「上手く伝えられない」と思っているからではないでしょうか?

 

固くなってしまう自分、上手いように言えない自分、というように、自分に自信がないからではないでしょうか?

 

自信はつけられますし、コミュニケーションも自転車と同じで練習すればするほど上達していきますよ

 

 

断ることが、まずは悪いことではない、ということ、どうするかは自分で選べる、ということと

 

断ったあとのフォローを含めて、コミュニケーションさえ上手くやれるなら、怖いものなんてなにもないんですよね

 

嫌われたくもないし、しんどいのも嫌だし、って、全部が上手いようにいくことを願っても、土台無理なんです

 

自分を守るために、自分の思いを伝える事はものすごく大事ですね


2017/08/11 母親でいようと思ったことがありません  
【Photo:今から4〜5年も前になりますね。高校のハンドボール部の写真です。寝そべってる子が息子です】


今日は山の日ですか?

山の日ってなんなのか、いまいち意味が分かっていないわたしです

自由業で、暦通りに動いてもいませんので、わたしにとっては祝日はあってもなくても全く関係ないですね

お盆でも実家にも帰りませんし、息子に「帰ってこないのか」と聞いてもいないです

「帰ってこないのか」というのも、京都が息子の故郷でもないので、おかしいですし、聞くとしたら「お母さんとこ遊びにこないのか?」でしょうね

わたしのペースも乱されるので、来ないんだったら来なくてもいいんです笑

いつ来てもらってもいいですしね


さて、そんなわけで、少し子育てのことを思い出したりしてたので書いてみますね

わたしは自分が「母親」と思っていないので、「母親らしい」ようなことをしようとか、思ってみたことも、考えたこともないんですよね

「母親として・・」とか書いてらっしゃる方をみたりして、「ああそう思うんだ」と分かったりします

母親はどうだ、っていう概念があまりないので、ただ一人の人間として子育てをしてきました

そうすると、結構、立場が息子と並列なんですね

なので、例えば一個だけお菓子が残ったとして、たまには「食べていいよ」ということもあるけれど、勝手に食べようとしたら「あんただけずるい」って言ったりもします笑

そして、じゃんけんか、半分こ、ということになります

俺は息子だから譲ってもらって当然なんだな、なんて考えがない息子なので、必ず「お母さん食べる?」って聞いてくれます

そう考えると、優しさって、優しさだけで育つものでもないような気がします

「お母さんも一人の人間で、悩んだり苦しんだりもあるのだ」と分かることで「自分も頑張ろう」って思ったりもするのではないかと思うのです


わたしはたぶんちょっと変わってて、その変わってるところはわたし的にはちょっとだけだとは思ってるんですが、おそらく型にはまった考えの方からすると、だいぶ変わってるんだと思います

とにかく息子自身の考え方を、大事にしてきました

「あんたはどう思うの?」っていつも聞いていました

なにかトラブルをおこしてしまっても「君はどう思うか?」と聞いて「俺は悪くないと思う」という主張の説明がたち、わたしが納得できれば、「だったら悪くないんだから謝る必要もない」、という結論にいたり、親がでていくこともなく、自分で説明に行ってこい、と言って、放って(任せて)おきました笑

親の立場、とか、立場で考える親御さんにとっては、すごく常識のないことをしていたかもしれません

恐らくいろいろ言われていたと思います

でも、忙しいこともあって、あまり気にしませんでした

息子の考え方がある程度、的を得ていたので、尊重しました

もちろん、考え方がずれていれば修正はしたとは思いますけど。。

お陰様で、いっぱしの意見を持った、プラス思考で行動力と統率力のある青年になったと思うので、ダメなところももちろんありますが、育て方としてはそこまで間違いではなかったんじゃないかな、とは思っています


中学三年の時には、「私立高校を滑り止めで受けてください」と、担任の先生に言われました

息子に「お母さん、受験料払うのもったいないから、私立受けないでほしいんだけど」と言いました

どうか?と聞いたら、「頑張る」という話でした

「おし!じゃあ公立一本で行こう」という結論に至りました

担任の先生から、随分と「お願いですから受けてください」と言われましたが、そんな先生の点数稼ぎのために受験料を払うのは馬鹿馬鹿しいと思いました

「先生!うちのは受かりますよ!先生マイナス思考ですねぇ〜!絶対受かるから滑り止めなんていらないです!」と先生と息子の前で豪語しました笑

親にそう言われるのを見ていれば、息子も頑張るしかないわけです

器用になんでもやってしまう息子ですが、ツメのところで手を抜きがちなので、少しくらいプレッシャー掛けたほうが伸びると思っているわたしは、わざわざプレッシャーをかけてあげました

受験に落ちたらどうするか、まで話し合いました

受験発表は震災の時で、随分延期になりましたから「俺、心配過ぎて気持ち悪い。。。」って言ってましたね笑

お陰様で宣言した通り、合格してくれましたが、順位は下の方でした笑

あぶなかったねーー笑 って笑い話になっています


なんにおいてもですが、子育てにおいても、「こうしなくてはならない」ことなんて何一つないんです

遊びだってそうです

息子の友達が5〜6人遊びに来たときがありました

グラスの数が足んないなあ。。しかも洗うのも面倒やなあ〜と思ったので、ラーメン丼鉢にカルピスをどかんと作って、ストローを5〜6本刺して
「それーーー飲め―――!」って出したことがありました

男の子の頭がラーメン丼に丸く集結して、カルピスをちゅーちゅーすすって一瞬で無くなりました

そしたら飲み終わった時、一斉に「がははははは!!」ってみんなの笑いが起きたんですよね〜

イベント的になって、このアイディア結構よかったなあと思いました

みんなの頭が集まって、上から見てたらとってもかわいかったです


あとは、お化粧ごっこをしたことがありました

3人の男の子が、化粧したい、っていうもんですから、じゃあ、一人ずつ化粧して、見ないようにして待ってて、いっせいのっせ!で顔見せ会おう!ということにしました

一人ずつ化粧してあげて、控室で待たせて 笑、「せいの!」で3人が出会って、見て、大爆笑でした

写真が今でも残っているはずです

化粧してみると、もっと綺麗になりたい、って思うのは、男子も一緒みたいです

それも面白かったな〜と思います

わたしはシングルマザーなのですが、息子にいろんな体験をさせてあげたいと思って、ディズニーランドや七夕の花火大会では、ぐらっぐらなりながら肩車して見せてあげました

宮城の丸森町ってところにいってタケノコ堀りも行ったし、檜原湖にワカサギ釣りにいって、さし(ハエの幼虫)を釣り針にさしたし、大島や田代島に釣りに連れてってもらったり、乗馬体験をしたり、ガラスのエッチングをしてみたり、ちょっと豪華なディナーに連れて行ってあげたりもしました

虫が大嫌いなのにカブトムシを飼って、卵を産んだので、調べて、育つよう、卵から成虫まで育てたこともありました

アトピーの子だったので、皮膚科、耳鼻科通いは欠かしませんでした

もっともっとさせてあげたいことはいっぱいありましたし、ご両親がそろっているご家庭より、きっとなにもしてあげられていないけど、自分なりに愛情はかけてあげたつもりです


子育ては大変でもありますけど、親も楽しまないと損です

こんな、わたしみたいな変な親でもなんとか子供は育ちましたから、子供にあんまり心配はいらないです

目をかけ、愛情をかけてあげられたら、きっと全く問題はないです

夏休みですから、親御さんもお子さんとご一緒に、ぜひ楽しんでくださいね♪

親も楽しむことが大事です








2017/08/10 こころの中の壁  
今日は日差しはさほどでもない、と思って、帽子を被らないで自転車で出かけたのですが、誤算でした

夏の紫外線は侮れなかったです

しかも日差しは少なくても熱風で、非常に蒸し暑いです


最近、全てにおいてとことんコミュニケーション次第だなあと感じております

言いづらいことも全て、質問、質問で、コミュニケーションをすることができます


他人と上手く行きづらい方は、コミュニケーションを避けて、先回りして勝手に想像しちゃってることが多いんじゃないかなって感じます

それはわたし自身、自戒を込めて感じるところですので書いてみたいと思います・・


例えば、何が嫌なことが起きた時に

「なんであんなこと言うんだろう?」→「きっとこう考えているに違いない」→「絶対こうなんだわ!(プンプン)」

・・・と、悪い風に捉えがちです・・・

お聴きすると、だいたいこのようなパターンに陥ってしまう方が多く見受けられます。。

想像の域だけで、思い込み、決めつけてしまってるんですね



苦手な人、嫌いな人ほど、コミュニケーションを避けてしまいたくなりがちなのですが、実はそれこそが誤りです

苦手な人、嫌いな人ほど、本当はコミュニケーションが絶対的に必要です

何故なら、苦手と感じる、嫌いと感じるということは、自分にないものを持っているとか、正反対な人だったりしますので、そもそもその人のことを理解するのが困難なのです

その上、「苦手」「嫌い」と感情が判断していると、どうしても悪い方向に考えてしまいがちなんですね

なので、コミュニケーションを避けない、止めない、諦めない、というのが、とても大切になってきます


コミュニケーションで大事なのは、質問です!

「なんであんなこと言うんだろう?」と疑問に思ったとき、まずは質問するんです

「こういうことですか?」と尋ねると、相手の真意が見えてくると思います

悪い想像が出てきた場合、その反対のことを聴いてみると、聴きやすいかもしれません

想像からの悪い感情が邪魔をして、「そんなことできないよ!」と思われるかもしれません

でも、聴いてみないと始まらない場合も結構多いです

勇気をもって聴いてみると、自分だけで想像を巡らせていたのとは、違う部分、考えが見えてきたりすると思います

だいたいそんなものですね、「な〜んだ」「始めから聴けば良かった」ってなる事は意外と多いです

そして、相手の口から直接聴けたことで、心理的にもすごく安心感に繋がると思います


思いこみ、決めつけというものは壁を作ります

思い込み、決めつけてしまうと「絶対そうに違いない」となってしまうのです

そうなると、本質的なものが見えなくなってしまいます・・・

自分自身のこころの中の壁なんですよね


自分を信じることは大切なのですが、それが過ぎると過信になってしまいます・・

特に、自分以外のこと、他人のことについては全て確認しないとわからないことばかりです

質問し、確認したうえで、相手から伝えられたことについては、例えば相手が言ってることと違うことを考えていたとしても、相手が言った以上は、それが根拠となりますので、相手から、その人の考え、答えを引き出すことはとても重要です

相手が言ってもいない、頼んでもいないのに、こちら側が先回りしちゃって、勝手に判断してしてしまうがために、関係性が上手く行かない、ということは、とても多いと思います

一見「いいこと」と思える事だとしてもそうです

親切心の押し売りになってしまいます

相手に負担を掛けるという意味で、せっかくの親切も、余計なお世話になっちゃうんですよね


つくづく、思いこみ、決めつけは、気をつけなくてはいけないなあ〜とわたし自身思っているところでございます












2017/08/09 売れるには、コミュニケーション力が大切です  
今日も暑かったですね〜

8月7日から五条坂の陶器まつりが開催されていたのにすっかり忘れてまして、思い出したので、行ってみました

初日は台風で中止でしたから、せっかく準備されていた作家さんたちはがっかりでしたでしょうね

日傘をさしてぐるーーーーっと五条坂をUターンする形で見てきました

昨年、気に入ったものは、検討の余地ありと、全部見てから買ったのですが、結局、最初にイイとピンときたものは自分が好きなものなのだ、と学びまして、今年はピンときたらすぐ購入しました

そういうことで陶器を沢山買ってしまったのですが、、、

ワクワクしてお料理が作れると思うと、いい使い方だったのではないかと思います

そう思い込むことにします笑


それで、出展数4〜50あるんでしょうかね・・ずーーと眺めてきましたが、思うところがありました

せっかく器を眺めているのに、携帯をいじっている方、何も声を掛けない方・・・コミュニケーションを閉ざしている作家さんが多かったですね

すごくもったいないなあと思いました

お客さんにしたら、せっかく作家さんが来ていらっしゃるんですから、作り手の思い、どんなお料理に合うか、などお聴きしたいので、チャンス!なんですけどね〜。。


わたしは作品を観て、作家さんをちらっと見て、買うかどうか決めます

作品に対する思いがこもっている方は、なにか感じますし、やる気がある方はお客さんをよく見てますよ

素敵な作品が置いてあって、その上で、話しかけてくださって、どんなふうに作ったかなど、思いを教えて下さったら、やっぱり欲しくなるんです

なので、待ちの姿勢では、ほんとうにもったいないですね


作家さんはクリエイティブな方が多いと思いますので、どちらかというと組織にも属していなくて、コミュニケーションも苦手な方が多いのではないかという感じがしています

そんな作家さん、アーティストにこそ、是非コミュニケーション力をつけていただきたいですね

コミュニケーション力は、作家さんだけではなく、全ての方に必須な能力です

やはりお客様と、気持ちよく対話できることは、武器になります

売るものがいい物であればあるこそ、コミュニケーションが大事ですね

コミュニケ―ション力は、自転車と同じで、練習すると上達していくんです

コミュニケーション能力は練習すれば、上げられるんです



2017/08/08 人のせいにすると落ちていきます  
京都は台風は過ぎました

昨日は一日すごい暴風雨でしたが、今日は一転して台風一過、、、と言いたいところですが、もやっとした曇天です

夏の終わりも感じさせるような、だいぶ涼しくて過ごしやすい感じです

でも、さきほど残り物のカレーを食べたので、いまは汗をかいているわたしです


人間ていうものは勝手なもので、自分にとって都合がよければ「よい人」、都合が悪くなったら「悪い人」、と思いがちです

それはわたしも例外ではなくて、過去にそんな経験があります


前職で、サラリーマンだったのですが、異動がだいたい三年ごとにあるような職場でした

わたしはシングルマザーなので、息子が小学校に入る際、ちょうど異動対象の前の年だったのですが、上司にも相談しまして、家からほど近い職場に異動させてもらえたことがありました

大きな組織ですので、通常は、そう思った通り異動させてもらうことは叶わないのですが、その時の職場の上司の権限が、おそらく強かったために、蓋を開けてみたら希望通り叶っていた感じでした

ところが、異動した先の職場は、とても雰囲気が悪く、扱う仕事の内容も嫌がられやすいものでしたので、すごくしんどかった覚えがあります

家から近くて子育てには助かる反面、近すぎるがゆえに、勤務終了後は気分転換ができる前に家についてしまうため、嫌な気持ちを家に持ち帰ってしまっていました

それをたまたま、忖度していただいた上司に(流行語を使ってみました笑)、「異動後いかがですか・・」と聞かれた際に、ご配慮いただいたにも関わらず、ぼやいて愚痴ってしまったのです

そうしたところ、その上司からは「そういうことを言うもんじゃないよ」というようなことを言われたような記憶があります

たしかにそうだったと反省しましたね


当時は、しんどすぎて「何故こんな職場に異動させられたのか」としんどさに潰されて、上司のご配慮に感謝も出来ず、逆に嫌な風に思ってしまっていたんです

人のせいにすると、落ちていってしまうんです

その後、もっともっと状況がしんどくなっていって、後から考えると「自分のこころが、嫌な出来事をどんどん招いてしまったんだ」と理解しています

大きな流れで見てみると、落ちていったことも、気付いて、上がるためには必要な事でした

ですから、無駄な事なんて、何一つないんだと思います



いま、その頃のことを、客観的に考えてみますと、よく鍵を忘れる息子が職場まで鍵を取りに来て、窓から同僚が見つけ「○○くん来たよ笑」なんてこともしょっちゅうでした

息子の夏休み、冬休み期間中も、職場の昼休みが1時間しかない中で、一度家に戻って簡単に作って食べるとか、お弁当買って食べるとか、一緒にお昼ごはんできたので、やっぱり助かっていた面も沢山あるのです

ですので、嫌なことがあると、全部が全部、嫌なように思ってしまいがちですが、出来事の中でも一つ一つを見ると、必ずいい面があるし、また、自分のために動いてくださった上司は、その出来事とは全く関係がなく、ご配慮してくださったというだけで「有難い」にしかならないはずなんですね

客観的に全体を観れるようになった今は、細やかに、全体がわかります


わたしの事例のように、誰かが関わってくださったことで、起こったことの中で、良いことがあればいいのですが、悪くなったときに、その関わってくれた方のせいにしたくなりがちです

でも、関わってくださった方の思いやご配慮いただいた事と、起こった出来事とは、全く別のことなんですよね

なにかあると、誰かのせいにしたくなる、ということはあると思います

でも、誰かのせいにしていても、何も始まらないどころか、関わり方次第では、状況はどんどん悪くなっていってしまいます

誰かのせい、ではなくて、自分がどうあるか、どうすればいいか、常に自分自身の中に答えを求めていったとき、変わっていきます

そして客観的に見る視点が持てた時、嫌な事よりも、いいこと、有難いと思えることの方が多いのだということも、頑張って思おうとしなくても、わかるようになっていきます


セッションの中で、日常を教えていただくことで、ご自身が当たり前すぎて見えなかった恵まれている面にもどんどん気づくようになります

そうすると、ご自身の、周囲に対する対応が変わります

対応が変わると、周囲の方も対応が変わっていきます

「自分が変わることで周りの人も変わる」、という原理原則も、実感としてわかるようになります

だから、自分が変わることって、結局、自分だけのため、ではないんですよね

人と人との関わりの中での、いい循環を、ご自身から作っていくことが出来ます

ハッピーメーカーになるのですから、そういう人を、天が応援しないわけがないのです

みんなツイている人になっていきます

2017/08/06 原因不明のモヤモヤは原因不明ではありません  
今日は珍しく朝からモヤモヤした気持ちでした

珍しく、というか、そういう時も多々あるのですが、大抵すぐに気持ちを切り替えられるのですが、今日はすぐに気持ちは切り替わりませんでした

それで、なんでかな、と感じてみましたら、一個ずつ一個ずつ、原因と思われるものが出てきましたね・・・


原因不明のモヤモヤとか、慢性的に憂鬱なのって、なんでなのかご存知ですか??

原因不明、というのは、原因がわからない、のではなくて、複合的要因・・・いろいろが積み重なって、原因がひとつではないためにわからなくなっているだけ、なんですよね

原因は必ずあるんです

それが複数なわけですね

だからこんがらがって、モヤモヤになるんだと思います


そんなわけで、一個ずつ出てきた、モヤモヤの原因のものを感じてまして、まずはその一つである上野の森美術館に出展する作品をやり直すことにしました

せっかく作ったのですが、なんか違うなあ・・・とずーーっと感じていましたので、思い切りました

やり直し初めても、まだモヤモヤしてた、というより、「これ期日まで仕上がるんだろうか」と思ったら、もっと不安になったのですが、少しずつ、大丈夫そうなことが見えてきたら、案の定落ち着きました

でも、まだまだ直さなくてはいけないので、最後までちゃんと仕上げたいと思います


もし、このブログを見てくださっている方の中にも、モヤモヤしている方がいらっしゃいましたら、是非、モヤモヤの原因を一つづつ感じてみて、やれることから、やってみてください

モヤモヤを感じたその都度、溜めずにすぐやれることをやっていった方が、常にクリーンな気持ちでいられます

生きてくことって、面倒なことだらけですよね

・部屋はすぐ散らかる

・洗濯しなくてはない物はいつでもある

・トイレットペーパーはすぐなくなる

・嫌な上司はいなくならない

・自分と合わない人はいなくならない

・旦那は全然動いてくれない

・奥さんはいつでも怖い

・子供は言うことを聞かない

・・・とまあ例を挙げてみましたが 笑

生きていくといろいろあります

なので、モヤモヤがでてくるのも当然です


上手に自分と付き合えるようになると、感じ方、受け取り方、見え方が変わって、とても生きやすくなります

どんな時も、いかに自分と向き合えるか、いかに自分の中に障害を見つけるか、なんです

外側には何もありません

人生はいたってシンプル、のようです

2017/08/05 魂ってあると思いますか?  
今日は暑くて目が覚めたのか、奇跡的に7時台に起きました

いつも朝が弱くて、起きられないので、今日は自分を褒めたい気持ちでした

夕方から浴衣でお出かけしてきまして、ほんとうはその前にブログを書いていたのですが、珍しく、なんか気に入らず、全部破棄しました

そういう時もあるのだと、自分に新発見でした

いま、全部書き直しております

 

 


うちの兄の子(甥)は実は、バイオリンをやってまして、まだ幼かった頃から始めているので、成長に合わせてバイオリンの買い換えも必要で、兄がネットオークションでいい物を安く手に入れたりしてたようなのです

それでたまたまなにかのご縁で、井筒信一さんのバイオリンを手に入れ、バイオリンの作り手として有名な井筒信一さんと繋がることができ、毎年のように長野県松本市まで遊びに行かせていただいているようです

井筒さんは、広末涼子さんのご主人であるキャンドルジュンさんのお父様でもあられ、敬虔なクリスチャンのようです

お宅を伺った際にお話されていた中で、「バイオリンを作っていく中で、最後に、不思議なのだが魂が吹き込まれるような瞬間があり、弾いてみると音色が変わっている」というようなことを仰っていたと、兄から聞いたことがあります

随分前に聞いたのですが、それを聞いて、「なるほど〜純粋にいいものを作り続けていこうとすると、物も応えてくれるんだな」と思ったような気がします

魂は、モノにも込められるんですね、きっと


魂って、あると思いますか?

わたしはあると思っています

別に特定の宗教に所属しているわけでもないし、スピリチュアル的にかぶれているわけでも毛頭ないんですが、魂っていうと、見えなくてつかみどころもないけれど、なんていうんですかね、思い、意識の究極の結晶みたいなものだと思ってるんです

思いって込められると思うんですね

純粋な思いがこもると、魂は強化されると思うんです


フジコヘミングさんの名言で「人を感動させる音楽というのは、うまいとか、へたとかではなく、いろいろな人生体験を経て、でてきた音楽だと思う」というのがあります

フジコヘミングさん、ピアノ奏者としては上手とは言えないらしいですが、彼女でしか弾けない、思いがギュッと詰まったピアノは、聴くものを魅了させます

魂が込められていて、作為的なものも、一切の虚飾もないし、ただただ「在る」、その存在感、弾くことに全力を捧げている姿勢に魂を感じるのではないかと思うんですね

だから感動を呼ぶんだと思います


感動って、こころで感じるものです

思考して、頭で考え、いいとか悪いとか、上手いだとか下手だとか、一切を越えたところに、感動はあると思います

人がただただその人らしくあり、自分の使命を知って、ただただ懸命に生きた時、感動の人生になると思います

それは、魂を込めようと思わなくても、魂のまま、生きられることで、感動するんだとわたしは思うんですね

感動の人生なんて、絵に描いた餅だ、と思われるかもしれません

でもわたしは敢えて言います

感動の人生を生きられます

それは損得を超越したところです

自分がどうありたいかを究極に突き詰めた状態です

ただし「感動の人生」は「望むならば」と条件が付きます

わたしは感動の人生にシフトしています

感動できることが素晴らしいとか、感動できないことがダメなこと、とかではないですが、感動できた方が、間違いなく充実した人生と言えると思うんですね

コーチングで叶うんです

わたしはコーチングで人生ががらりと変わりました

「人の行く裏道に道あり花の山」です

 

人と同じことをしていては、平凡な人生のまま、なんですね






2017/08/04 ゆるーく生きましょう 〜頑張ってしまう方へ〜  
今日も刺さるような日差しの京都です


昨夜は、ピーマンにちりめんじゃこを入れて、塩昆布を入れ、炒めただけの一品を作りたいなと思いまして(これめっちゃ美味しいのでおすすめです)ちりめんじゃこを買い物したのですが、

夕方使おうと思って、冷蔵庫を眺めても、見当たりませんでした

おっかしーなーって思いまして、買い物かごに入れた記憶はあったのですが、そこから先の記憶が全くなかったんですね

おそらく買い物かごに忘れてきたか、自転車で移動中に落としたんだろう、と思って、あんまり気にせずに、昨日はちりめんじゃこ抜きで炒めて食べました

今日、たまたま買い物に行って、思い出したので、何気にレジで聞いてみましたら、やっぱり「ありました」でした笑

だいたい、目がふしあなというかなんというか・・・ボヤッとして、ちゃかちゃかよく見ずにいるからこうなるんですね

おっちょこちょいで、落としたり、なくしたり、忘れたり、いろいろやらかしているわたしなのですが、でも、何故か、戻ってくることがほとんどです

だめだった、って記憶があまりないんですね(覚えてないだけかもしれませんが・・・笑)

とにもかくにも、なんかうまくいっちゃう、っていうのが、わたしの中の定説なので、だからこそ、なんかぼやーーとぬけてても、なんとかなるって思っちゃってるんですよね。。

それで、実際なんとかなっちゃう、わけなんですね・・これが

だからこそ、ぼやーーーっとしているのが、直るわけもないスパイラルでございます



今朝も10時半まで寝ちゃってまして、さすがに今日は「ああ〜寝てしまった」と罪悪感持っちゃったんですね

いま、わたしが一番気を付けていることは、「罪悪感」と「焦り」なんです

それらが、一番、自分を痛めつけ、よくない方向に流れをつくる原因なんですね・・・

これは、ほんまに、実感なんです

なので、「眠くて寝たかったんだから、まあいいか〜」にすぐ気持ちを切り替えます



毎日ふわふわ生きておるわたしでございます

おそらく他人様がまじまじわたしの生活をつぶさに見たら「ちゃんとしなさい!!(怒)」と言いたくなると思います。。。笑


「早起きしなきゃダメでしょう」

「午前中から遊んでちゃダメでしょう」

「お金のこと考えて使わないとダメでしょう」

「夜早く寝ないとダメでしょう」

「おごられたら返さないとダメでしょう」

「使った都度きちんと片づけないとだめでしょう」

「またお酒飲んでるの!」


・・・とまあ、内情をぶっちゃけてしまいましたが、、、

おそらく、きちんとしている方がわたしを見たら、挙げたらきりがないくらい色々おもわはると思います。。。


でも、わたしは自分に禁止は一切しないことにしております

「がんばらないことをがんばって」するようにしています。。。

そうするとうまくいくんですよね〜 不思議なんですけどね〜

ゆるく、ラクにいることが、うまくいく秘訣なんです〜

実際、こんなわたしなのですが、申し訳がないくらい、なにかとうまくいっちゃってるんですよ〜



なにかを頑張って、一生懸命していらっしゃる方がいらっしゃいましたら、一度、自分に全部【許す】ことをしてみませんか〜

「肩肘張って頑張ること」って、例えるなら

「自動ドアの前で、ドアをこじ開けようとしていること」に似ています

自動ドアは、一旦出入り口からよけて、スッと踏めば、開くんですよ


がんばらない、ってそんな感じです〜


うまく行く方がいいですよね?

頑張ってしまう方は、頑張らなくてもいいんですよ〜

ゆるーく生きましょう〜(^▽^)

よかったら、コーチングでコツをお教えします〜


2017/08/03 成功と幸せは一致しない  
今日は午前中、自転車でお出かけしてきました

風が思ったより涼しくて、一昨日や昨日のような刺さる日差しでもなく、幾分暑さは抑えられていました

京都の北部、北山通りを西に行ったのですが、中央分離帯の植え込みの木にはセミ達が暑さを演出してくれていました

ところで、海外の方は虫の声は雑音にしか聞こえないそうですね

日本人とポリネシア人のみ左脳で「言語」として聴いて、海外の方は右脳で聴くから「雑音」、になるらしいです

日本人には当たり前に思えている感覚も、海外の方にとっては当たり前ではないわけです

感覚っていうのは他人と比較が出来ないので、深く、面白いものですね


よく言われる一般的な成功って、巨万の富を得たり、ビジネス的に成功して買いたいものは何でも買え、着たいもの、持ちたいもの、家でも土地でも何でも持ち、すごく贅沢な暮らしをすることと思われがちですね

女優の松居一代さんも、そう考えると、一般的に言われる、いわゆる成功者だと思うのです

お掃除のマツイ棒が大当たりし、プロデュースした商品は軒並みヒットして、巨万の富を得ているらしいですから。。

でも、仮にですよ、何か、例えばご主人の不貞行為などあったり、家庭内に波風あったとしても、一度愛した人を、無抵抗な相手を、あのように苦しめ、さも自分は正しいと動画で主張し、挙句に逃げ回っている生活は、【幸せ】って言えるんでしょうか・・・?


こういっては申し訳がないですが、わたしから見ると、幸せから遠ざかっているとしか思えません

投資などでも上手くいってらっしゃるとのことですから、すごく勉強家で、商才もあって、頭の回る方なんだろうと思うんです

でも、幾ら頭が良くても、相手の気持ちを推し量ることにできない方は、わたしは、、本当の頭のいい方だとは思えないんですね

本当に頭のいい方だったら、全てが上手く行くような方法を思い浮かべ、実行するんじゃないかと思うんですね

感情に左右されているうちは、感情に流されて、全てを失ってしまう可能性もあると思います

感情をコントロールできる脳も持ち合わせてはじめて「頭のいい人」なんじゃないかと思うんです

松居さんを拝見していると、いわゆる「成功」と「幸せ」って一致はしないな〜と思うわけです


タイトルとは矛盾するようですが、「自分にとっての成功」と、「幸せ」は必ず一致する、とわたしは実感、体感しています

いわゆる「成功」が、自分にとって外側の・・・何かモノを所有することだったり、何か名誉を得たり、自分以外のなにかを得ることと思われていること、ですが

「自分にとっての成功」は、こうありたい、と思っている、自分にとっての理想の状況、物質的な何かを手に入れるとかではなく、自分にとって大切なことをしていった先に手に入れられるこころの在り方となりたい現実の状況なので、そうなれるよう、向かっているだけでも充実し、満足し、やっているだけで楽しいんですね

なので、まずは自分にとっての成功とはなにか?を深く探る必要があります

なかなか自分一人では見つけられないのですが、マスターオブセルフコーチングで見つけるお手伝いをさせていただきます

「自分にとっての成功」がわかると、本当に不思議ですが自動的にそこに向かい始めます


わたし自身、このコーチングと出会って、自分自身の個性を深く知り、自分の社会への役立ち方、自分が得意で出来ることなど、様々、約一年間かけて人生の棚卸をして、やっと、その後にフェルトとも出会って、フェルトの制作とコーチングが自分のやりたいことであり、世の中に役立つことだ、と、こころの奥底から感じているので、もう、揺らぐことがないのです

事業を立ち上げ、色々な困難があったとしても、自分のやりたいことだから、辞めるという選択はないんです

だから、わたしにはおそらく失敗はないと思っています

というより、最悪バイトをしてでも何をしてでも、コーチングは続けていくと思います

わたしがコーチングをしていくことで、救われる方がいらっしゃるということを確信しているので、まだ出会っていないそんな方たちのためにも、辞めるわけにはいきません

「自分にとっての成功」って、確実に、周囲の人や社会にもいい影響を与えるものです

自分というものを越えた、周囲への影響、社会への影響、というところまで、ある程度見据えています

なので、コーチングをしていくことは、わたしだけのためではないので、誰に何を言われても揺らぎません

揺らがないから、強いんです

「揺らがない自分」というものも、同時にマスターオブセルフコーチングで作りあげたからです


松居さんも、揺らがない方だから、ある意味怖いんですよね、、、

正しいも間違いも、ないとは思うのですが、人をおとしめるという意味で、あえて「間違った」と表現させていただきますが、「間違った」方向に揺らがないと、犯罪をも恐れませんね

だからこそ、提訴される事態にもなっているんだと思います


わたしは、いつでも、純粋で、いい思いを持ち続けたいな〜って、あのお方を拝見していて、強く思いますね

こころは、常に常に、お庭と同じでお手入れが大事です









2017/08/02 笑うから楽しい  
フェルト作品の制作に意識がいっていたので、久しぶりのブログになってしまいました

今日はひと段落なので、少し安心したので、書いてみようかと思います


先日、クライアントさんが「みんなが笑ってたので作り笑いをしていた」と教えてくださいました

それで、「笑い方の練習をするのはいいですよ!」ってお話をしました

「楽しいから笑う、というのは当たり前なんですが、逆もまた真なりなんですよ、笑うから楽しくなる、も本当にそうですよ」、ともお話ししました

そうなんです、笑い顔をしていると、悲しいことや辛いことを考えられないんですね

わたしは実体験からクライアントさんにお話したのですが、その後、チョット調べてみたら、そんな格言を残している方がいらっしゃいました


楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。(ウィリアム・ジェームズ)

 

ウィリアム・ジェームズさんは、アメリカの哲学者であり心理学者である方みたいです

 

 

行動と脳は連動しているそうです

 

だから、顔が笑っていると、脳が「楽しいのだ」と判断して、楽しい気分が作られるそうなんです

 

 

こういうこと書くと、仏頂面だった昔のわたしを知っている人は、驚くかもしれません

 

でも、人って変わるんです

 

笑顔を練習してみて、顔の筋肉は鍛えられるのだな〜って実感しています

 

頬の筋肉が鍛えられると、顔がぐっと持ち上がって、口角が上がり、笑顔が綺麗になります

 

 

「毎日つまんないな〜」「楽しいことないな〜」って思ってらっしゃる方は、是非、先に笑顔でいてみてはいかがでしょうか?

 

笑顔は無料でできる奉仕です

 

「笑う門には福来る」という諺もあるくらいですし、いいことが起き始めると思いますよ

お悩み、お聞きします。

まずはお気軽に無料体験コーチングをお試しください。


e-mail : prefe.m2016@gmail.com

電話番号:075-755-4150

所在地 :京都市左京区一乗寺東浦町56 A-101
無料コーチングお申込み